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舎監 Kan [人生]

私は中学から色々と具合の悪かった親元を離れ国語の先生の家に預かってもらい

九州南端、錦江湾に臨むカトリック系の学校に6年間通った。

学校は当時カナダのフランス語圏ケベック州の修道士たちが運営するもので

戦後の就職難の時代、東大や京大を出た優秀な先輩達が母校に戻って先生をしていた。

 

国語の先生の家は朝食前の漢詩の素読以外は自由そのもの

私は宿題すら出したことのない怠け者で担任からは寮に入れと

しきりに言われるようになった。学年が進むと寮生たちは自由をもとめ

下宿に移っていくのだが、私は珍しくその逆で、高校2年から寮に入った。

 

さくじらま.jpg

 ↓↓↓↓↓

学校では何人かの先生に影響を受けたが、寮にはK舎監がいた。

KK舎監は日本人のカトリック修道士で日曜日には哲学書の読書会をしてくれた。

このK舎監には特に強い影響を受けた。

高校を出て電気店で働いていたが修道士になり今は大学の通信教育を受けている

と言っていた。いつの日か教壇に立ちたい。しかし、本当はこんな進学校など

やるべきではないのだ、同じ修道会が仙台でやっているような孤児院など

別の活動をすべきなどだ、などとも言っていた。


そのKan舎監がインターネットに小説を発表している

とかつての同級生が連絡して来た。

北国の男子校で起きた学内紛争めいた話なのだと言う。

北海道に移っておられたのか。


私はその「第1部」を読んでその友人に返事した。



キイチローどん:


『五分の魂』

 読んだどー。


不覚にも涙してしまった。

あの理想に燃えておられた先生もいつしか俗世にまみれてたいへん苦労されたのだな。

狂気と正気の間を彷徨うような作品ではないか。


最初のほうに出て来る死の恐怖とか、その恐怖から逃れる「気晴らし」

というのはまさにパスカルの思想なのだよ。読書会で教えてくれた。


<<「…何かで気を紛らわして死の問題から目を逸らすことができなかったら人は恐らく発狂してしまうかもしれませんね」こちらの想念をまるで見透かしたかのように相手が口を開いた。>>


<<「人間の行動全てが死の問題からの逃避に根付いているといったら言い過ぎでしょうか。勿論、登山もその例外ではないと思うのですが、いかがですか」

またもや反問調の問いかけだ。>>

 

<<霊魂の不滅という真実があれば死は永遠の生における一つの通過点に過ぎず、そのことで苦悩し神経をすり減らすのは愚の骨頂かもしれない。>>


<<「世の中には、そのことを悟って悔いのない人生を送るために努力している人々は沢山いますよ。本当は、そういう生き方こそが人間らしい生き方のはずなのですがね」>>


<<今は故人となってしまったカトリックの外人修道士のことが思い出された。

学生時代出会った、いつも周りのために尽くすことを生きがいにしているような人で温和で笑みを絶やしたことのない人だった。心底から人を大切にし思いやりの心で接してくれる、心引かれる人だった。信仰心の篤い強固な信念の持ち主で、その生き方には魅了された。しかし自分のような凡人には到底まねの出来る生き方ではないと思っていた。>>


<<マザー・テレサなどもそのような生き方をした典型なのだろう。

こういう人たちは永遠の生を確信していたからこそ確固たる信念を持って、すばらしい生き方ができたのだな等と今更ながらのように感じ入った。>>


この辺は私の知るKKそのものだ。半世紀を経て変らぬ姿だ。

私はこのK舎監に大きな影響を受けた。

日曜日の読書会があの頃の自分の精神の糧であった。

この人がいなかったら高3の2学期、医学部から文学部へ志望を変えることも

なかったと思う。

多くを惜しみなく与えてくれた人がこんなことになっているとは。


しかし、事実を書いたという保証はないわけで、学園スキャンダルの設定で

まったくの作り話かもしれない。

しかしこの事細かな裁判記録は…。驚きだ。

結婚したことになっているが、そうなら還俗してたのか。

舎監や財務担当なら、慶応の通信講座で学位をとってやがて教壇へ

という夢は果たせなかったのか。

いろいろ疑問も湧いて来る。


「第1部」とあるのだから、続編がこれからあるわけだな。


11頁

<<バスバリトンの通りのいい声で教頭が力説している。>>


この辺は、彼の音楽好きの側面があらわれている。

クラシックに造詣が深かった。

当時私は音楽に関し話し相手は加藤舎監とM君くらいしかいなかった。


11頁

<<ゾシマ長老の年若き兄>>

 

これまたKKのもうひとつの世界。カラマーゾフの兄弟。


<<『どんな人でも全ての人に対してすべてのことについて罪があるのです。・・・今までこの世に暮らしていながら、どうしてこれに気がつかないで、腹をたてたりなんかしたのでしょう。・・・僕たちは喧嘩をしたり、互いに自慢しあったり、人から受けた侮辱をいつまでも憶えていたりしていますが、それよりかいっそ庭へ出て散歩したりふざけたりして、互いに愛しあい讃えあって、接吻したらいいじゃありませんか、自分らの生活を祝福したらいいじゃありませんか』

そうです。周りから心の病にかかって、もはや常人ではないと見られていたゾシマの兄が発した言葉です」>>


<<ゾシマ長老が語ったとされる話は、どれも感動的だった。若い頃の真理に憧れる一途な心には、どれも刺激的で説得力を持って迫ってきたものだ。

だが酸いも甘いも味わい尽くした老いの身には、もはや昔日の影響力はない。

青年の働きかけは一方ではありがたく感じながら他方では要らぬお節介との思いもあった。>>

 

かつてあれだけ心酔したドストエフスキーだが、世俗にまみれ、老いた自分、

もはや霊感は湧かぬ

というのか。


第2部続編があるとすれば、それは、またこの世界に戻る、という筋道をたどるのではないだろうか。

単に学園の不正を暴き、復讐を果たす、というだけでなく。


もうひとりの

K(かん)

より



 

『五分の魂』第一部


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