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核戦争から世界を救った男 [核兵器]

核戦争から世界を救った男は今年77歳で亡くなっていた

元ソビエト軍将校のスタニスラフ・ペトロフ

彼は1983年9月26日、アメリカの核ミサイル5基がモスクワに向かっていると警戒システムから知らされながら、これを誤作動と判断し、報復攻撃の対応をとらなかったのだ。
(私は3年前ウィーンの会議でこの人のビデオメッセージを通訳していた。『地上で最も危険な機械』 http://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2014-12-20-2

当時ペトロフ中佐は44歳。コンピューターからこの情報を知らされたが、反撃までの猶予はわずか20分。上司には誤動作と伝えたが、実のところ、その判断に根拠はなかった。サイレンが鳴り響く中、ただ直感的にそう思っただけだった。そしてそれでおそらく何百万人という人の命が失われなくてすんだのだ。

「ミサイルがこちらに向かっているという情報はすべてそろっていました。もし上司にそのまま伝えていたら、誰もそれには一切口を挟まなかったはずです。電話をとって上の司令官に伝えるだけですんだはずですが、私は身動きできません。熱いフライパンの上に乗っているような感じでした」

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この日の当直で士官学校の教育を受けていなかったのは自分だけ。だから命令に背いてまで自分の直感を信じることができたのかもしれないとのこと。

アメリカが本当に核攻撃を先に仕掛けてくるなら5発で済むわけはないと思ったし、警戒システムが比較的新しいものだったので誤動作も十分あり得ると思ったという。

ペトロフ中佐のこのときの判断が間違いだったら、ソビエトは反撃をしそこなっていたということになる。しかし、その判断が正しければ、第3次世界大戦が回避される。そして奇跡的にそれは正しい判断だった。

しかし、ギリギリで核戦争が回避できたのはこのときだけではない。1979年にはコンピューターのシミュレーションであやうく核ミサイルを発射して第3次世界大戦の勃発、というところだった(その映画化が『ウォーゲーム』 https://gizmodo.com/the-computer-simulation-that-almost-sta… )。1983年にはNATOの軍事演習をソ連側がNATO軍による先制攻撃の偽装と誤解した。後者などペトロフ中佐の事件のわずか2ヶ月後だ。1962年のキューバ危機もあったし、1962年と言えば沖縄で32発の核ミサイルを発射するよう命令を受けながら、標的にロシア以外の非敵対国が含まれたことや準備態勢が最高位のデフコン1でなく2だったことを不審に思い、現場の米軍が命令に背いて発射せず、ということもあった。

冷戦時代、世界が何度も核戦争の入り口にまで足を踏み入れながらぎりぎりでそれを回避したのはたまたまでしかなかった。今の朝鮮半島の情勢も、これ以上の危機にエスカレートせずにすむかどうか、わからない。人知れずひっそりと亡くなっていたペトロフ中佐。今生きている我々は彼に負うところ大である。

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世界を救ったかもしれない男


危うく第3次世界大戦の勃発となるところだったコンピューター・シミュレーション
BBC News - US plane in 1961 'nuclear bomb near-miss' http://www.bbc.com/news/world-us-canada-24183879

命令に背いて第3次世界大戦の勃発を防いだ勇敢な軍人


ソ連が核攻撃と勘違いしたNATO軍の軍事演習
https://en.wikipedia.org/wiki/Able_Archer_83

相互確証破壊

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