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金永煥 講演『韓国民主化から北朝鮮の民主化へ』 [北朝鮮]

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北朝鮮の強制収容所の廃絶を目的に活動するNGO「No Fence」主催の講演会。今回は金永煥氏であった。1980年代、主体思想派=主思派(チュサハ)として軍事政権下の韓国で学生運動を率いた。1990年代、一時は北朝鮮とつながり、韓国で地下組織「民族民主革命党」を率いて社会主義革命を目指すが、その後、北朝鮮の体制に懐疑的になり、1990年代末からは北朝鮮の民主化のための活動を中国の北朝鮮との国境地帯などで展開してきた。

例によってこのところの私の傾向、開始ギリギリで駆けつけると、すでに壇上には予想外の柔和な顔つきの金氏であった。話し振りも落ち着いておられる。『韓国民主化から北朝鮮の民主化へ』と題して、自身のこと、これまでのこと、北朝鮮の現状、見通しなどを語った(12月14日、東京)。私は韓国語は理解しない。以下は通訳者の日本語をメモしたものからの再現である。

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きのうソウルはマイナス12度、13度だった。東京は皆さん、寒いとおっしゃるが、私にとっては春のようで嬉しい。ご存知のように北朝鮮はもっと寒い。経済制裁もあり、この冬はどうなんだろう?と北の人に聞くと、経済制裁のおかげで輸出用の石炭が国内消費用に回り、価格が下がって燃料費の負担が軽くなり、過ごしやすいくらい、という答えが返って来た。

想定や先入観ではわからない。物事の理解のためには聞き取りが大切だ。

自分は1982年に法学部(ソウル大学)に入った。その前から朴正煕(大統領)には批判的だった。大学入学とともに、軍事政権をやめさせ民主化を目指す運動に入らなくてはならないと思っていた。当時学生運動は、日本やヨーロッパでもそうだったが、多くの者がマルクス主義に基づく戦略を受け入れていた。自分もマルクス主義を基礎とし、北朝鮮の主体思想を中軸とする考えを受け入れていた。韓国の運動の中心、左派の圧倒的多数がそうだった。今の与党議員の3分の1、青瓦台(政府)の半分がそのような主体思想派だ。

1986年に韓国の情報機関に捕まり、安企部の拷問を受け、2年間、刑務所にいた。出所後7ヶ月して北の工作員から接触を受けた。その後も北の連絡を受け、1991年には北朝鮮に招かれた。江華島で潜水艇に乗り込み北へ。1991年当時は東ヨーロッパの国々で社会主義がつぎつぎと崩壊し、中国も改革開放路線へ向かっていた。新しい社会主義のあり方について金日成や北の学者らと話し合いたかった。だから北へ行ったのだ。

しかし北の学者らに未来志向はなく、創意工夫もない。党から与えられたテキストから一言も逸脱できない息苦しさの中、話し合った。金日成とも二日間、計6時間話をした。面白いところもあったが、金日成の話は1930年代のパルチザンの考えから少しも進歩していないことが分かった。金日成と未来志向の話をしたかったのに…。過去に執着し、考え方の硬直化した人間と話をしても意味があるだろうか?と懐疑的になった。

失望して韓国に戻ったが、見聞きしたことは氷山の一角に過ぎなかった。私は北の一般市民の生活は、当局が見せたいところしか見て回っていないのであり、一般国民の暮らしがどうで、どんなことに苦労し、どんなことを考えているのかに触れる機会はなかった。しかし、1990年代半ばから脱北して韓国に来る人が増えた。そして彼らの証言の中身は衝撃的だった。しかし、当時、韓国の運動には証言に正面から向き合おうとする姿勢はなかった。安企部が作り話を言わせているとして、まともに耳を傾けなかったのだ。しかし、自分は北に行っていたから、そこに変化が見て取れた。客観的に見なくてはならないと、丁寧に聞き取った。

??と??(二人の人名、聞き取れず)という二人の若者の共著にある収容所の話はあまりにも酷くて信じられなかった。北は収容所の存在は正面から認めてはいなかったが、間接的には認めていた。だから漠然と酷い所とは知っていたが、これほどとは思っていなかった。だからショックだった。ナチスやスターリンの収容所よりひどい人権蹂躙だ。

本人は小学生。おじいさんが何かあやまち、しくじりがあった。それで、おばさん、父親、おじさん、本人(小学生)、5歳の妹、一家全員が収容所に送られた。餓死すれすれの食料しか与えられず、明け方から夜遅くまで強制労働。カンチュルマンは3時間、4時間、午前は形だけの授業。午後は強制労働。子供もノルマを果たさないと激しくぶたれる。本人が回想しているが、同級生が何かしくじって教師から棒で肩をなぐられ意識を失い、6日間伏せっていたが、そのまま死んでしまった。そんな日常。教師に処分すらない。なぐる、餓死、銃殺。それが日常的に起きる政治犯収容所。

しかしそのような人権蹂躙は収容所に限らない。都市部から農村まで、あらゆる階層で、収容所ほどではないにせよ、様々な人権蹂躙が行われている。北朝鮮全体が巨大なアウシュヴィッツと言ってもいい。自分も再び深い苦悩におちいった。韓国でなぜ自分は革命運動に身を投じたか?それは社会の抑圧されている階層への愛ゆえのことだった。今ソウルの近くで最も抑圧を受けているのは北朝鮮の人々だ。ソウルからわずか35キロで板門店だ。右から見ても左から見ても周辺でいちばん苦しみいちばん抑圧されているのは北の住民である。それは疑いようがない。

自分も若い二十代は革命家を自認していた。それが言葉だけでなくうわべだけでなく誠がそこにあるのなら、凄惨な抑圧を受けている北の人々から目を背けられないはずだ。だから自分は新たに決意した。韓国の民主化の運動はひとまず閉じて、これからは北の民衆の自由と解放のための運動に身を投じよう、と。

そのころ、民族民主革命党(民革党)幹部らに書簡。これまでの資料や証言を分析すると北朝鮮の民衆は残酷な抑圧を受けている。我々は革命家として民衆の側に立って独裁と戦う使命を担っているはずだ。北の民衆を解放する新しい革命を始めたい。皆さんが加わることを切に願う。こういう内容だった。

この書簡を読んだ民革党の幹部たちは大変な衝撃を受けた。

三分の一は衝撃と混乱。あなたの言っていることは詳しくは分からないが、あなたの言うことなら信じよう。行動を共にする。という人たち。

さらに三分の一は、大変な衝撃を受け、革命運動から身を引いて平凡な市民として生きて行こうという反応だった。

残りの三分の一は、受け入れらない、自分たちのこれまで通りの道を進む、として私に背を向けた。

私と同じ道を歩もうと言う志を持つ人たちとはこれまで20年、北朝鮮と中国の国境近くで北朝鮮の民主化を願う様々な活動を行って来た。誇るべき成果もあった一方、暗殺団や拉致団を北から送られ、身の危険にもたびたび遭遇した。私に対する暗殺未遂もあった。拉致対象者のリストにも名前が載った。そのような動きは中国公安が察知していて、その中国公安の動きを見ていて拉致を免れた同僚もいる。

2012年、私は中国の情報機関、安全局によって中国で身柄を拘束された。北の拉致団も同僚をさらおうとしていた。だから中国は私が拉致されるのを防ごうとして私の身柄を拘束したのだ。

中国から身柄は拘束されたが、自分は韓国では名前のよく知られた人間だし、外国人だし、中国が手荒な扱いをするはずはないと思っていた。しかし、その期待は裏切られた。韓国で受けた拷問よりはるかに酷い拷問を中国によって受けた。中国では一般の犯罪者も拷問を受けているということは知っていたが、外国人にもするとは知らなかった。

あとになって理解したことだが、自分たちが中国を拠点に対北朝鮮のかなりの規模の活動を展開していることは、中国にとっても負担で、中国はそれをやめさせようとしていたのだった。

とりあえずここまでで質疑。

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質問:あなた以外にも北の工作員から声を掛けられた人がいるのか?

答え:ユン・テクリムという有名な工作員がいた。北に帰って要職についた人物。90年代にはユン・テクリムから教育を受けて送り込まれたことが分かっている人たちがいた。ユン・テクリンは韓国にいたとき3人に声を掛けたことが分かっている。彼らは裁判にかけられ処罰を受けた。他にもう1人いるが、その罪状ははっきりしない。処罰も受けていない。それ以外2、3人はいたが、確実なことは分かっていない。

質問:どんな拷問を受けたのか?

答え:中国で受けたのは電気によるものと殴る蹴るの殴打。眠らせない、というのもあった。6日間にも及んだ。韓国の安企部でも眠らせないという拷問をやるが、せいぜい4日間だ。それ以上になると命の危険があるから。しかし中国では6日間もあった。中国は死んでも構わないという構えなのかとも思った。

中国の電気による拷問というのは棒にコイルを巻いて強い電流を流し、胸や背中に当てて激しい電気ショックを与えるというもの。焦げる匂いがする。

質問:民革党の3分の1の人たちと北の民主化の運動を始めたけど中国は困って、弾圧するようになった。大規模な活動はやりにくくなったのか?

答え:非常に難しくなった。中心的な人物は、自分も含め、中国はリストに載せて把握している。入国ができない。リストに載っていない人たちも、送り出しても止められる。中国は韓国内に情報網があるようだ。今は控えめに細々と活動している。

質問:どんなことを?

答え:今どういうことをしているか、公の場で話すのは控えたい。かつて大規模な活動といえば、北朝鮮から中国へ来る人たちのうち、韓国に逃れたいという人たちにはその便宜を手配したということ。さらに、北へ戻る人たちには、体制に批判的で、体制を変えたいという人たちであることを確認した場合には、財政的な支援を行なった。自分たちが韓国で地下組織だった経験から、仲間作りを指導したり、USBのメモリーに他の国の情報や、韓国が今どうなっているかなど、情報を入れて持たせた。

質問:中国は人物のリストを作って、身柄の拘束をしたとのこと。なぜ中国が拘束する?

答え:実際のところ中国の当局者が言うのだが、北朝鮮の拉致リストにあなたの名前があったようだ、だから保護するのだと。確かにそういう側面はある。騒ぎになったら中国も困る。だからそういう事態にならないように、というのがある。組織の根絶やしを図っている。

質問:金日成のではなく、あなたの主体思想は、韓国ではどう受け止められている?

答え:韓国では赤化への拒否反応が強い。しかし1970年代半ばに変化もあった。学生運動に対する朴正煕政権の弾圧が激しくなり、それに対する学生運動の反発や抵抗も増していった。その中でマルクス主義の戦略と戦術が学ばれた。私が大学に入学した1982年当時、学生運動にはマルクス主義が広まっていた。反共の雰囲気はなかった。主体思想に関して議論をしても、問題はなかった。

1980年代当時、政府への反感は非常に強かった、信じられないくらいだった。

当時の政府は愚かな政策を採っていた。北に関する情報を遮断したのだ。正式な文献もなくなった。本や論文は、海外のものを持ち込めなかった。情報を遮断する自国政府は信じられなかった。日本やアメリカで書かれた、北朝鮮体制を美化するものを密かに入手して読んでいた。

質問:中国や北朝鮮はもはや社会主義、共産主義の国ではないが、あなたは今も社会主義は正しいと思うか?

答え:昔から社会主義、共産主義を強く信奉するというスタンスではなかった。そこは脱却している。特に東欧の崩壊を見て来て、批判的な検討をしなくてはならないと思っていた。階級論、プロレタリア階級論は批判的に見ており、信奉するという立場ではなかった。

見習わなくてはならないという国はない。手本とすべき国はすでにない。北朝鮮はとんでもない国だということも知った。社会は閉塞し、解放的、未来司法的なものはなかった。AIが普及すると、仕事の多くが機械にとって替わられることになる。別の新しい社会主義に移行するのではないか?そういう話はまた別の機会にしてみたい。

質問:民革党の3分の2は説得されなかった。なぜと思うか。 答え:振り返るとイデオロギーの力、それまでの考え方、感性の強さ。北の体制(??)宗教的色彩すら。金日成の神格化。3分の2はそこからの脱却ができない。

****************************

次に、今の北朝鮮をどう見るか。

歴史的に四段階に分けて説明されることが多い。

1)1960年代後半まで。一般の社会主義の段階。もちろん様々の北朝鮮の特色もあるが、基本的にはソ連や東欧と同じ社会主義だった。

2)1960年代後半から金日成の独裁が強化され1990年代後半まで金日成の独裁体制。この時期、金日成の言葉が神(幹部?)の言葉となり、幹部はその言葉を死守。共産主義は本来、党の独裁。しかし党の上に金日成の権威が来た。北朝鮮では党は金日成の補助装置となった。

3)1990年代後半から北の社会主義の崩壊期。1993年、94年に大飢饉が起きた。いちばん少なく見積もって40万人、一番多くて300万人が餓死したとされる。当時は統制が隅々にまで行き渡り、人民は当局に反抗できない状況だった。しかし当局の指示に従っていたら飢え死にしかない。だから人々は通行証がなくても農村に向かった。あるいは命がけで国境を越えた。

生きるために公務員へ賄賂を使い始めた。それまでも腐敗はあった。しかし90年代半ばに爆発的に増えた。それ以来、社会主義の原則や命令や指示より、いかに賄賂で回して行くかということで当局者たちが行動するようになった。だから、なんでも賄賂。大したことを言っていなくても、体制批判の発言に仕立て上げて、賄賂をとる。逆に大それたことをしでかしても、賄賂をもらえば揉み消す。韓国の映画やドラマを観て摘発されても、袖の下を渡せば見逃してもらえる。賄賂はもらった本人が自分だけのものにしてしまうわけでもない。上役に上納する。そうやって見逃してもらう、ということが横行するようになった。それ以前から他の分野でも社会主義的な仕組みがどんどん崩壊していた。その中でも最も重要な核をなしたのが配給制だったが、それも崩壊した。1年通してないことも(?)、2、3ヶ月しかないこともあった。

無償の教育や医療も対外的には盛んに宣伝していたが、それも崩壊。お金を払わないと簡単な医療も受けられなくなった。学校も無償の建前だったが、現金や現物を学校へ差し出さないと授業は受けられない。具体的には、生徒1人あたりウサギの皮を2匹分(?)市場で調達するなどして出さなくてはならない。あるいはくず鉄5キロとか。でなければ現金を。

北朝鮮の人に聞き取りをしたところ北朝鮮北部では子供1人を学校に送るのに年600ドル学校に差し出さなくてはならない。現物の分を含めて換算して600ドル。

教育も医療もお金を払わなければサービスを受けられない。大人の職場の月給が市場交換レートでひと月1ドルにもならない中、これでは暮らしていけない。

つまり社会主義の雇用関係で、国営企業で働いてもまともな給料はもらえないということ。生活をやっていけない。こうやって見てくると北の社会主義はすでに崩壊している。ここまでが3期。

4)近年の北は4期目を想定すべきと考えるようになった。過去6年の金正恩の時代だ。

過去6年、国を率いてきた金正恩。いかなる指導者か。外国人から見ると後見人のおじ張成沢を殺し、腹違いの兄・金正男を殺し、核実験やミサイル発射実験に執着しているというイメージだが、国内政策を見ると正常な国にしようとする意志を感じ取ることができる。

正常国家化。具体的にどういうことか。金日成は党のシステムを越えて各部門に直接関与した。しかし今、党優位のシステムに戻そうとしている痕跡がある。

各階層に蔓延する不正、腐敗。それをなくそうとしている。各部門で腐敗がある。お互いをかばい合うもの。その根絶に努力している、正恩は若くて残酷。軍事部門も検閲して不正が見つかったら直ちに銃殺する。幹部はかなり怯えている。

民主化の地下の運動では中国と北との間を頻繁に行き来し国境警備隊に賄賂が必要。7、8年前なら300ドルから500ドルで便宜を計ってもらえた。末端の兵士はそれを上官に上納し、さらには保衛部がお目こぼしという、賄賂を回すやり方。その循環のなかで見つかっても処分はない。お互いをかばい合っていた。

しかし金正恩になってからは平壌から検閲団がやって来て摘発して銃殺、ということが何度も起きている。現場では怯えて、賄賂を渡そうとしても受け取らない。10年前に比べて賄賂を受け取る人は5分の1〜10分の1になった。リスクが非常に高まっている。渡すお金も増えて、いまでは1,000ドルから3,000ドルが相場となっている。これは活動に痛手で、どんどんやりにくくなっている。正恩が国家正常化の引き締めをやっているのだ。国家システムの正常化の努力。そして、中国式の改革をかなり試みているのではとうかがわせる事例もいくつかある。

改革開放と言っても、開放は国際社会からの制裁を受ける中、進まない。しかし、開放の試み、努力は、農業、市場、資本の拡大にうかがえる。金正恩政権の公式の政策は核開発と経済開発。その言葉に偽りはないようだ。核開発と経済開発に本気で取り組んでいると思う。対外的に公にしたのは2013年の終わりころで、核と経済の開発路線、接触する北の中枢の人々は「二敵二改」と言う。二敵とは一つ目が外部の敵。米帝国主義と南朝鮮。二つ目が内部の敵。反体制の動きと権力を狙う幹部たち。北からくる人たちがこう言うようになってしばらくして張成沢が殺された。内部の敵と位置づけされていたのだ。中枢の幹部は権力へ脅威となる疑いを持たれると殺される、ということ。

一般人民でも、脱北しよう、韓国の映画を観ようと言う人たちは監視し弾圧している。これもそういう人たちを外部の敵と位置づける政策の一環だろう。金正日時代に比べ、脱北者の強制送還、ドラマ・映画を観ての処罰は、数倍も厳しいものになっている。

外の敵、米帝国主義と南朝鮮(=韓国)に対し幻想も妥協も一切ない姿勢は、一貫している。その立場を貫き、堅持している。韓国で民主党が野党から与党になっても、韓国に対して幻想は一切持ってはならないという態度だと思われる。

対アメリカでは、アメリカがいくら北朝鮮に侵攻するつもりはない、北の体制を転覆させるつもりはないと言っても、信じてはならないということ。北の体制を亡きものにしようと虎視眈々と狙っているのであり、警戒を緩めてはならない、という姿勢だ。アメリカがたとえ北の核と体制を保証すると言ったとしても信じることはできない、信じてはならない、アメリカは北の体制の崩壊を狙っている、信じることができるのは核しかない、という一貫した姿勢。

なのに改革開放を試みようとしているし、推進できる。これは何なのか?改革は20年模索し、成功したものはないが、それでも改革をやるしかないと考えは固まってきている。金正日はかなり歳が行ってから政権を引き継いだ、猜疑心の強い人だった。政治的な開放も入ってくるのではと恐れ、彼は改革開放はできなかった。しかし正恩はまだ若い。野心も非常に強い。物乞い国家をいつまでも続けるわけにはいかない。何とかしなくてはと思っている。中国とベトナムの経験、北朝鮮の20年の経験、そこから改革開放しか選択肢はないと思っているはず。

しかし今、国際社会からの制裁がなくても、開放路線に舵を切っても、北に積極的に投資をしよう、貿易をしようという国は中国と韓国だけだろう。しかし北朝鮮自らが体制を脅かしている韓国から投資を呼び込み、貿易をしたいという前向きな態度に北がなるとは思えない。だから相手は中国しかない。

ここ3年こそ国際社会からの制裁で中国との貿易や投資関係が減少しているが、7、8年前は北朝鮮には中国の下請けのような受注があったりして北朝鮮の労働者の状況も良くなり、投資も貿易も拡大していた。北朝鮮には今、制裁があって開放の動きはないが、改革ならかなりの動きがある。

代表的なものとして農業改革がある。正日時代にもあったが、それが軌道に乗った。正恩は政権を引き継いだ2010年、農業改革を宣言したが、この時、北朝鮮問題の専門家らはあざ笑った。政権の基盤は弱いのに、宣言して何ができる?と嘲笑したのだ。しかし2、3年で北朝鮮の各地で農業改革の進展があり、ひと段落した。その柱は、かつて共同農場だったものを「圃田担当制」(ほでんたんとうせい)にしたことだ。土地使用を家族単位で請負い、収穫の30%は国家に納めるが、残りは農民が自由にできる、というもの。ここ4、5年、穀物生産量は増加した。

北の穀物生産が推計で300万トンより下なら大量の餓死者が出る、300万トンを上回ると餓死者が少し出る、400万トンを越えると餓死者は出ず、なんとか食っていける、とされる。たとえ天候に恵まれ農業もうまく行っても収穫が430万トンを超えることはない、というのがこれまで専門家のだいたいの見方だった。それがここ4、5年の統計を見ると、480万トン、500万トンと思われる。なぜ増えたのか?中国から輸入する肥料が増えたからか?それもあるが、それだけでそこまで増えはしないと自分は思う。要因はかつての非効率的な集団制から家族農業に転換したことだろう。

改革のもう一つは市場だ。自然発生的に出来て安定してきている。金正日の時代にもあった市場だが抑圧され取り壊しということもあり、安心できず、積極的な参加はなかった。しかし正恩のこれまでの6年で市場の閉鎖や抑圧はしていない。市場は今、やりさえすれば、やっただけもうかる。だから安心してやれる。

問題は北朝鮮に資本を保護する法体系が整っていないこと。個人の資本を保護する法律がなければ安心して投資を続けることはできない。トラックや船が没収されるおそれがあるかもしれないと思えば投資できない。しかしこれまでの6年間の動きを分析すると、資本を保護しなくてはならないという雰囲気が強く現れてきている。自分のお金で船を買って労働者を雇ったのに、国家が不当にその漁船を没収するというような例はこの6年、なかなか見つからない。

以下、工事中:

金正恩体制下、経済の改革が進み、資本を持つ階層が生まれてきている。 農業改革で穀物生産が増えている。 核開発・ミサイル開発はどんな圧力があっても絶対に手放さない。 手放させるには全面戦争しかないが、そうはなりそうにない。 北が南に侵攻したり南を赤化することはない。 経済制裁は効いていない。輸出されるはずの石炭が国内に出回り価格は低価。過ごしやすい冬となっている。

などなど。

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「金正恩の恐怖政治とその展望」高英煥(コ・ヨンファン)(元北朝鮮外務省)
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